社会は均衡状態の重なり!「赤字を掘って、利益を得る」というイメージを持とう
ビジネススキームとしての「均衡状態の解消」
ビジネスの基本は安く仕入れて高く売ることとも言えますが、僕はこれをもっと抽象化して「均衡状態の解消」と、とらえています。
均衡状態が発生しているのはどういうことか。それは、「目の前の障壁の存在によってそれを超えた先にある効用が達成されていない状態」と僕は考えています。
「安く仕入れて高く売る」は「直近では赤字が発生してしまうが、のちに回収して通算では黒字にする」と言う考えですが、なぜそうしたことが可能かを均衡状態と言う捉え方から見て見ましょう。
欲しいものがある人がいて、買いたいものが商品として存在している。ただし、その人と商品の間に物理的な距離がある。つまり、その商品の消費をするためには、物理的な距離という意味での直近の障壁があります。だから、本当はその商品を消費することで効用が発生するのに、消費が発生せず、効用が発生しない。これが均衡状態が発生しているということです。
これを解消するのが小売です。卸売業者から安く仕入れて、消費者にその値段より高く売る。均衡状態の壁を乗り越えることで、効用を発生させ、その差異分のうちの幾らかの割合を利益として上げています。
「赤字を掘る」→「黒字化して回収」も均衡状態の解消
弊社ではWEBメディアを運営していますが、これも、マクロな視点で捉え直すと1つの均衡状態の解消と捉えることが出来ます。
このビジネスを端的に言うと、WEBメディアとして記事を作るのには制作費がかかります。しかし、記事をちゃんと作ってメディアが有名になれば、収益を生むことが出来ます、と言う話です。
これを均衡の解消と言う視点で見ると、
・「目の前の障壁の存在」(=資金をWEB上の記事と言う形に変えること・WEB上の記事を収益の形に変えること) によって、それを超えた先にある効用 (=最初の資金よりも多い収益が上がること) を得られる。
・しかし障壁の存在(=情報不足・心理的障壁など) から、均衡が起こっている (=資金を保有している人みんながみんなWEBメディアをやると言う訳ではない)。
・なのでそれを解消する (=資金を使ってWEBメディアのビジネスをする)
均衡状態の例として有名なものはナッシュ均衡ですが、ビジネスの本質は実にナッシュ均衡の解消のイメージに近いものと僕は思っています。要するに、均衡状態を解消して全体最適化をすることなのです。
身の回りのどんな小さな利益でも、均衡状態の重なりの解消だと理解する
この「均衡の解消」と言う視点で様々な物事を見ると、全ての物事がこれに当てはまっていることが分かります。
例えば、受験勉強です。勉強して良い大学に行く、というのは、「勉強」と言う目の前の障壁を越えれば「学歴」と言う効用を得ることができると言うことであり、「均衡の解消」に他なりません。
「テーブルの反対側にある醤油をとる」と言う行動もそうです。「手を伸ばして醤油を取りに行く」と言う面倒な障壁を超えた先に、「餃子が美味しくなる」と言う効用の向上が存在します。
人が気づかない均衡を発見をして「赤字を掘ろう」
このように、日常の様々な出来事は、障壁を超えて(=赤字を掘って)、その先の効用を手に入れる(=通算で黒字化させる)、と言う仕組みの上で意思決定や行動が成り立っていることが分かります。
幸せに(=効用を最大化する)人生を生きて行く上で大切なのは、まずこの社会の仕組みを理解することです。そして、できるだけ小さな「障壁」であるが、その先にある「効用」ができるだけ大きくなっている均衡を見つけ出す、ということです。それがいわゆる「コスパのいいこと」です。
アプリを軸としたサービスの成功と失敗
アプリのユーザー獲得は広告によるユーザー獲得が鍵
今回は久しぶりに事業についての記事を書きたいと思います。アプリサービスの成功するもの失敗するものの違いを見ます。
アプリにおいてユーザーを増やすには、ストアランキングのハックだけでは十分なユーザー獲得を見込むことができません。アプリのユーザー獲得には、広告をハックすることが必要です。広告については、インストール広告と呼ばれるアプリの広告によるユーザー獲得が大きいです。テレビCMなどによるユーザー獲得がなされることもありますが、だいたいテレビ広告はコストパフォーマンスに見合わないことが多いと言われています。
広告配信を維持するには、LTVがCPIを上回っている状態の維持が必要
ユーザー数を増やすには、当然ですがユニットエコノミクスが成立している必要性があります。LTVがCPIを上回っていないと、当然ですがビジネスとして成り立たないので、広告を打つことを継続することができません。
また、一般的にCPIについては、だんだん時間が経つにつれて上がっていくことが知られています。
と言うのは、広告を打ち始めてから初期は潜在的にニーズを持っているユーザーを広告によって獲得することができるのですが、だんだんと相性の悪いユーザーを獲得していくことになります。時間が経つにつれて(ユーザーの獲得が進むにつれて)段々と1ユーザーあたりのインストールに必要になるimpression(広告の表示回数)が増えていくので、広告によるユーザーの獲得費用は上がって行きます。
1ユーザーあたりのLTVの高い toCモデルであることが本質
このように通常ならばCPIが少しずつ上がっていくような原理を抱える中で、ユニットエコノミクスの成立している状態を維持することがアプリのグロースに不可欠です。
ユニットエコノミクスを維持するための方法は2つで、CPIを下げる・LTVを上げるの二つです。このうち、CPIを下げることは非常に難しいです。CPIを下げる戦略に関しては、リファラルによるなどのユーザー獲得戦略が挙げられますが、現実的にこのCPIを下げる戦略のみによって黒字化まで持っていけている会社は中々ありません。
アプリを黒字化させるためにより本質的な施策は、LTVを上げると言うことにあります。
1ユーザーから生涯にわたって得られる収益と言う概念のLTVが高いモデルとしては、マッチングアプリ・ゲームアプリの他、メルカリなどのCtoCアプリもあげることができます。
こうしたサービスに共通しているのは、toC のサービスであると言う点(ユーザー課金型のサービスである点)です。
ユーザー数を増やしているアプリでto B型のアプリも存在するには存在するのですが、あまりうまく行っている印象はありません。クラシル/ グノシー/ C Channelなどのメディアサービスは、特に厳しい印象があります。
toCモデルであっても、ユーザーのリテンションが難しいアプリサービス
さらに、LTVを要素分解すると、1ユーザーが1ヶ月あたりに課金する額に加え、どれだけそのアプリを使い続けるか(リテンション)も重要になってきます。
リテンションを高く維持するには、そのサービスに置けるそもそものユーザー体験を高く保つ必要があり、これも難易度は高いです。
アプリで儲けを出している会社はWEBで収益を上げている会社より、難易度が高いことをやっていてすごいと思います。
組上げたスキームを崩さなければ、思考のステージは上がらない
経営者として成長することとは、自分の中に思考スキームを増やすこと
前回のブログ(20代で意識するべきこと)で述べたように、自分の考えを広げる(=自分の持っている視点の数を増やす)ことは、経営者として大成する上で非常に重要です。
今回は、視点の数を増やすためには、実際に気をつけるべき点について触れてみようと思います。
人はつねに、人生の中で最高に成長した地点にいる
その気をつけるべき点とは、「自分が腹落ちしたスキームを常に疑い、ときには破壊する」ことです。
つねに視野を広げていくには、つねに成長するマインドでなくてはなりません。人はつねに、成功も失敗も妥協も繰り返して、これまでの人生で一番経験が豊富な状態にあります。この事実は人を、「自分の考えに対して過剰に自信を持っている状態」にします。年配の方ほど頭が硬いというのは、ここから来ているのかもしれません。
自分が成長段階であることを忘れない
自分の持っているものの考え方・捉え方(=視点)に自信を持っているのは良いことですが、新しい視点を取り入れるときには障害となりえます。
視点が異なれば、目的に対してある一つの事象が、プラスに働いているようにも見えるし、マイナスに働いているようにも見えます。
それが問題に対しての施策である場合、ある人はその施策を支持し、ある人はその施策を否定すると言う形になって表れます。こうした時は、自分のスキームを大切にしながらも、他の人の意見に耳を傾けてみることがとても大切です。
自分の考え方に照らし合わせると愚として見える考えを他の人が持っていた場合、その人をバカだと思うのではなく、立ち止まってよく考えてみることが大切です。そのとき特に、「なんでその人がそう言う思考に至ったのか」と考えることで、新しい思考スキームを得ることがあります。
自分の信じているスキームを破壊しようとすることで、一段成長する
僕の場合は、特に、自分の視点ではある事象がマイナスに働いているけれど、他の人にはプラスに働いているように映っているというパターンの意見の相違が起こったときに、凝り固まった自分のスキームで他の人の思考を否定してしまいがちです。
そうではなくて、自分の見落としている考え方がないかどうか、つねに注意することが大切です。
これは僕も、今後どんなに成長して自信を持っても、維持していきたい姿勢の一つであります。
ときにそれは、自分の腹落ちさせて来たスキームと矛盾するときもあります。たとえば、トップダウンで思考することが、そもそも自己の幸福から遠ざかっている、みたいな考え方も存在します。
そんなときには、自分の持っているスキームの要点を見返しながら、新しいスキームと客観的に比較すること(自分の考え方を評価すること)がもっとも成長に繋がります。僕もこれを文章にして書いてはいるものの、実際に実践するのはとても難しいことだと実感しています。
ビジネスで活躍したい人が、20代で意識するべきこと
20代を人生のかてにするには
僕はビジネスマンとして大成したいと思っています。そのためによく言われるのは、20代をどのように過ごすのかが大切だと言うこと。
僕は今年で23才の年なので、まだ偉そうなことを言うのは早いですが、20代で大切にするべきことは何か?という問いに対しての、自分なりの仮説を今日は書きます。
ビジネスマンとして成果を人生で出したいなら、20代で追うべきKPIは「スキーム数」だと思います。
ビジネスで成功するには、ボトルネックを作らないこと
なぜ僕がそう思うのかと言うのを説明します。物事をうまく進めることに関して重要なのは「ボトルネックをなくすこと」だと思っているからです。
例えば、受験勉強をして東京大学に受かりたいとします。
Aという生徒は、英語・数学・国語で全て偏差値が75だとします。
Bという生徒は、英語・国語の偏差値は85、数学の偏差値は55だとします。
どちらの生徒が受かりやすいでしょう?
それは、Aの生徒なのです。
状況に応じてもののごとの効用曲線の微分係数は変わります。ちょっと難しい言葉ですが、ボトルネックは絶えず変動するということです。
ここでは、試験年度に応じて(=状況に応じて)それぞれの科目の試験の難しさ(効用曲線の微分係数)は変わるというように言えます。
しかも、この受験の例の場合、合否を分けるのは総合点なので加法的に要素が存在しますが、多くの場合、物事の要素は積法的に要素が存在します。ということは、よりボトルネックの存在が全体に負の影響をもたらすのです。
例えば、勉強に置ける総インプット量は、勉強時間と勉強時間あたりのインプット量(=要領の良さ!)となります。勉強時間と勉強時間あたりのインプット量のどちらか片方が著しく低いと(=ボトルネックだと)、総インプット量はどうしても低くなってしまうのです。
ボトルネックの解消ができる人とは?ボトルネックを発見できる人
こうした例を元にして考えると、何かを成すことにおいて「何かでボトルネックを作ってしまうこと」がNGなことだと考えられます。
ビジネスを大成させる確率を上げるには、つまり、「ボトルネックを解消できる人」になると良いと思います。
では、「ボトルネックを解消できる人」とはどんな人でしょうか。実は、これは僕の経験上ですが、大抵のビジネスに置いてボトルネックが発生する場合、そもそもボトルネックの存在に気づかれていないことが原因であることが多いです。なのでつまり、発見されているボトルネックに対してソリューションを見出して、「ボトルネックを解決する」ことができる人も貴重な人材ですが、実はそれ以上に活躍する人材というのは、「ボトルネックを発見する」人材なのです。
もっと言うと、「ボトルネックの発見」のできる人間が、「ボトルネックの解決」のできる人間に仕事を振ると、ビジネスはうまく回ります。これが、いわゆるマネージャーとプレーヤーとも言えます。
スキーム数を増やし、自分の思考体系に隙がない状態にする
では、どういう人ならば、ボトルネックを発見できるようになるのでしょうか。その理想像は、自分の中に持っている思考スキームにもボトルネックのない人です。
物事を見るときに、ありとあらゆる視点を網羅している人です。
ビジネスにおいては、ビジネスモデル/ PL /BS/ ファイナンス / ユーザー/ クライアント/内部マネジメント/ マーケティング/ 営業 ....などあらゆる視点(=スキーム)が存在します。(ビジネスに限らずですが。) それらを体系的に自分の中に網羅的に持っている人こそが、ボトルネックの発見人として優秀なのです。
話を今回のテーマに戻しますと、20代で手に入れるべきは、スキーム数と書きました。様々な視点を取り入れることで、物事に対してあらゆる角度からの視点を同時に向けることのできる人になることこそが、大切だと思います。
変なプライドに気をつけよう
変なプライドとは
僕が変なプライドと呼んでいるものがあります。一般的な意味合いとしては、いま特にこだわるべき場面でもないのに、何かに固執してこだわっている人がいた時に、変なプライドがあると言います。
変なプライドという言葉自体は、たまに聞く言葉ですが、その一方でこれについての本質的な意味を本当に理解している人は実は少ないと思います。というのは、よく「変なプライド」という言葉が使われるとき、他の人が変なプライドを持っているといった感じで使っているからです。
変なプライドについて僕の思うところは、変なプライドを他の人が持っているかどうかはさして重要でないということです。他の人に変なプライドがあるぞと思ったら、その部分には触れないようにしておくとか、気を遣いなから接するとかそれくらいで良いです。
それよりも、もっともっと重要なのが、自分が変なプライドを持っているということに気づくことなのです。
変なプライドは自分の首を締める
変なプライドは、選択肢を少なくし、フラットな思考を妨げます。
例を言います。例えば、「自分より学歴の低い人から論理的な間違いを指摘されたくない」とかが変なプライドの典型例です。別に人間なので、誰だって論理思考の5割くらいはミスりますし、ミスってもそれは当然です。どんなに合理的な天才でも完全無欠の論理を生涯に渡って突き通し続けるのは不可能です。さらに、論理構造のミスの発見などは、その視点の発見による発見なども多いため、自分より学歴の低い人から論理的なミスを指摘されてそれが正しいなんていうことも当然たくさんあっても普通なことです。
しかし、学歴の高い人は自分が賢いということに「変なプライド」を持っているパターンが多く、自分が賢いことにこだわる人が多いです。
たとえ他人からの指摘が正しくても、素直に受け入れることができず、論理のねじ曲げを行って自己正当化を行ってしまうので、せっかく自分の間違いが正される機会を失ってしまうのです。そして、そういう人は大抵の場合ある程度賢いので、その場で自分が正しくなるような間違った論理を編み出して、自己正当化をできてしまうのです。
変なプライドは意識的に捨てた方が幸せになれる
変なプライドは捨てた方が良いです。結局何かをするにあたって、本来ひとはあらゆる選択肢を持っている訳です。 しかし、変なプライドがあることによって、僕はこんな下らないことはやりたくないとか、私にはこれは相応しくないとか、そういった考えに結びつき、選択肢を妨げてしまっているのです。
もちろん、プライドがあるから人は頑張ることもあります。それは良いプライドです。負けたくないとか、諦めたくないとか、そういうのは良いプライドだと思います。
でも、僕の言う変なプライドは、自分が生きる上で障害となり、自分の幸福へ続く道のりを通行止にしてしまうものです。年下からものを教わっても、自分の学びが増えれば、本来はそれでいいはずなのです。でも、年下からものを教わるのが恥ずかしいとかの変なプライドで、人はチャンスを失うことがあるのです。
誰もが気づかずに変なプライドを持っていることがある
そして恐ろしいことは、誰しもがそんな状態に気が付いていないことです。
変なプライドを持っていると言う認識もなく、変なプライドを持っているのです。「自分が持っている、このこだわりの考えって必要だっけ?」いつもそう考えながら
生きていくといいと思います。そう思っていてすら、変なプライドは発見するのが難しいです。
「自分より学歴の低い人から論理的な間違いを指摘されたくない」という例をあげましたが、これは実は僕自身の例です。しかし、僕自身がこのプライドを持っている時は、こんなプライドを持っていると言う意識はなく、そこにあったのは「感情」でした。
変なプライドを捨てよう
僕は、変なプライドを見つけたらラッキーだと思って生きています。
どんどん自分の思考がフラットになっていくからです。皆さんもこうした考えを取り入れてみてはいかがでしょうか。